たった一反に繭2000個。膨大な非効率の積み重ねが作る結城紬(糸つむぎ・絣くくり・地機織 編)
鬼怒川はかつて絹の川と書いて「絹川」、あるいは衣の川と書いて「衣川」と書いたそうだ。絹川は氾濫することが多く、それを防ぐために桑の木をたくさん植えたことも、この地で養蚕が盛んだった一つの要因だという。
「盛んだった」と過去形にしたのは、結城市では養蚕業は皆無で、同じく結城紬の生産地である小山市で蚕を養殖する事業者が6組だけとなっているからだ。
確かに一時期の隆盛は感じられないが、今なお結城紬の名は世界的に轟いている。それを証拠に結城紬は国の重要無形文化財のみならず、ユネスコ無形文化遺産にも登録されている。
そんな結城紬は、全部で40もの工程を経て作られる。その全てを追うことはできないが、今回は「糸つむぎ・絣くくり・地機織 」と「湯通し・天日干し」の現場を訪れることができた。案内してくださったのは、奥順株式会社の鈴木さん。それでは早速、「糸つむぎ・絣くくり・地機織り」の工程を見ていこう。
儚さすら感じる真綿から糸を紡ぐ
玄関をくぐって入った空間は、ごくごく一般的な人が住む家屋の様相だ。
しかし驚くべきことに、この工房には過去に天皇皇后両陛下とベルギー国王夫妻が訪れている。本場の結城紬ができる工程を視察されたのだ。
鈴木さんの手の上にふわりと白い物体が乗っている。ともすれば儚さすら感じさせるその物体は、実に繭5個分から1枚が作られる真綿だ。
この真綿をつくしと呼ばれる道具に引っ掛け、ぐるりと回した先端から糸を引き出して紡いでいく。片方の手で真綿を引き出し、もう片方の手の指に唾をつけて糸を撚っていくのだ。
たった数センチの糸を引き出すために、複数の作業が連綿と繋がっている。
じっと見ていると息をするのを忘れてしまいそうなほど、地道で細やかな作業だ。
当然、指に込めた力や引き出す真綿の長さによって、糸の太さや強度はまちまちになる。全てを均一に均等にする機械には出せない、人の手が成す業だ。
ここで一反に使う真綿の枚数を鈴木さんに伺うと、だいたい400枚とのことだった。これを繭の個数に換算すると、実に2,000個ほどからたった一反が出来上がるそうだ。
生糸を使えばどれほど楽だろうか。2,000個もの繭から糸を紡ぐ工程を想像するだけで、すでにため息すら出てしまいそうだ。
数ミリでもずれてはならない絣くくり
続いて「絣(かすり)くくり」と呼ばれる工程に移る。糸を染める箇所と染めない箇所を分けることで模様をつける技法のことだ。
絵筆で自由闊達に模様をつけるのとはわけが違う。職人は図面を参考に、たて糸ひとつひとつに対してミリ単位で糸をくくっていくのだ。
当然、数ミリでもずれたら思い通りの模様をつけることはできない。
まさに精密機械が行うような緻密な作業を、気が遠くなるような時間をかけて人の手で遂行していくのだ。
結城紬が地機織りである理由とは
染めの工程が間に入ったのち、遂に地機織りに入る。ちなみに織り機には地機以外に高機と呼ばれるものがあり、世界中のほとんどの手織りは高機で織られている。しかし、絣が入った結城紬を織るのは地機だけだ。
地機は自らの身体で重心を作り支えるため、高機に比べて非常に扱いが難しい。その分、人の手の感覚を生かした微妙なニュアンスを加えることができる。
さらに地機は高機に比べ縦糸が打ち込まれる回数が多いため、できあがる反物は密度が高いと言われている。この辺の違いはさすがに素人にはわからないが、地機で織られた着物は着れば着るほど真綿で包まれたような、暖かくかつ柔らかな着心地を感じることができる。
結城紬はそもそも生糸ではなく、わざわざ真綿から作る。その際も人の手だからこそ生まれる微妙なニュアンスを大事にしていた。
諸説あるだろうが、結城紬が地機織りにこだわるのも、同じ理由ではないだろうか。単純に効率や作りやすさを求めるのであれば、他にもたくさん方法があるはずだ。
膨大な非効率の積み重ねが作る結城紬
ここまでが糸つむぎ・絣くくり・地機織りだ。大事な工程ではあるが、これで全てではない。繰り返すが、実に40の工程を経て一つの反物が完成するのだ。
現代ではあらゆるものがインターネットと結びつき、非効率なものは良くないとさえ言われる風潮がある。「すぐ作れて・すぐ手に入って・すぐ消費できるもの」の方が、現代的だと言える。
しかし、結城紬は時代の流れを無視するかのように、一つ一つの工程に信じられないほどの時間をかけている。まさに膨大な非効率の積み重ねで一つの反物を作り上げているのだ。
何がここまでさせるのだろうか。ものづくりへの異常なまでの執念か、先人たちが築き上げた時代の重みか。その答えは現場を一度見ただけでは分かる由も無いが、一つだけわかったことがある。
世界的に認められた技術に裏打ちされた最高級品である結城紬は、この膨大な非効率の積み重ねの先にあるからこそ、唯一無二のものなのだ。それだけは肌で感じとることができた。
結城紬〜秋の新作展示会〜
さて、ここまで見ると気になるのが完成した結城紬の着物だ。ちょうど『つむぎの館』で問屋向けの秋の新作展示会があったので、最後に数枚の写真をご堪能いただきたい。
※本来であれば絣くくりの後には、染めの工程が入り地機織へと移る。分業のため今回は染めの職人とスケジュールが合わなかったが、機会を見つけて再訪したいと思う。
湯通し・天日干し編に続く