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結城紬が至高の領域に到達した理由とは?宙空に吊られる12mの反物と木の柱の秘密(湯通し・天日干し編)

前回は糸つむぎ・絣くくり・地機織を視察した。車はエンジン音を静かにたてて、湯通しをする作業場へと移動する。

効率を求めるのであれば、全ての工程を一箇所で行うのが良い。しかし類稀なる技術を持つ職人たちは、各工程で別の場所に存在する。そこには効率云々ではなく、はるか昔から受け継がれている決まった形や流れというものがある。

結城市・小山市を車で移動しながら車窓の風景を臨む。この地を訪れる前にはわからなかったことが、言葉以外の何かを通じて伝わってくる気さえした。

さて、機織りの工程を経て完成した反物だが、そのまま袖を通すことはできない。仕立てに入る前に、「湯通し・天日干し」という工程がある。

湯通し前の布はパリッとした硬めの手触りなので、お湯で糊を落として天日干しをすることで、初めて人が着て心地の良い布となるのだ。それでは湯通しと天日干しを見ていこう。

湯通しを専門で行う結城紬の職人

砂利道を歩いて行くと開けた場所に出た。静かな空間にシャバシャバと水をかき混ぜる控えめな音がする。

男性が真剣な眼差しで大きなタライの中を覗き込み、熱心に手を動かしていた。

湯通しはその名の通り湯に布を通す作業だ。反物は織る工程で滑りをよくするため、糸に糊づけをすることが多い。

特に結城紬の糊づけは、毛羽立ちやすい真綿からつむがれた手つむぎ糸を織りやすくする為の工程であり、糊で繊細な糸を補強する意味合いもある。その糊を落とすために、お風呂のお湯くらい、だいたい40℃のお湯に繰り返し布を通していく。

言ってしまえばお湯で糊を落とすだけだ。素人目には機械で行った方が断然早いと思ったものの、それがいかに浅い理解だったかを思い知る。

糊づけも人の手で行なっているため、均一ではない。布を見ただけではわからないが、濃い部分と薄い部分がグラデーションのように展開している。さらに日本は季節によって湿度が異なる国だ。その時の最適な塩梅は、季節によって、もっと言えば日毎に変わってしまう。

だから湯通しも機械的に均一であってはならない。指先の感覚で微細な布の状態を理解して、必要な分だけ湯通しをする。しすぎてもならないし、糊を残しすぎてもならない。非常に繊細な作業が求められるのだ。

ちなみに結城紬では、小麦粉(中力粉)による特殊な糊づけを行う。つまり糊作りから始まり、糊づけから湯通しに至るまでのすべてが職人技でできている。

実は湯通しを専門で行う職人がいるのは結城紬だけだ。

お湯で糊を落とすだけと思うなかれ、パッと見ただけではわからない高度な技術があって初めて、結城紬の名前で着物が世に出ていくのだ。

天日干しの両端が木の柱である理由

湯通しのあとは天日干しの工程に移る。木で囲われた空間の端から端へ、12〜13mもある反物が何枚も吊られる光景はここでしか見られない。

こうして約3〜4時間ほど天日干しを続ける。

もちろん晴れている間しか天日干しはできないため、自ずと天気を先読みする力も求められる。今年の夏は雨が多かったため、なかなか天日干しもできなかったようだ。

両端に据えられた柱が木であることは偶然ではない。反物は干すと徐々に水分を失うためその形状を変える。鉄柱で固定すると木のようにたわむことがないため、布に良くない影響が出てしまう。

だからこそ、引っ張る力に対して柔軟にたわむことができる木で柱を作る。ぱっと見ただけでは見落としがちな細かな部分にも、反物の質を保つための創意工夫が発見できる。

布を触って理解して、杵で叩く

さて天日干しをすれば完成、と言いたいところだがまだ完成ではない。乾いたばかりの反物を大きな石の上に置き、杵で叩く工程がある。こうして杵で叩くことにより、布の繊維同士が馴染み、袖を通した時により着心地が良くなる。

湯通しと同様、杵で叩く工程も機械化できそうだが話はそう簡単ではない。全体を均一に同じ回数だけ叩くなら機械でもできるが、布の状態は均一ではないからだ。

人が触って微細な違いを確かめ、叩くべき箇所と叩かなくて良い場所を判断する必要がある。これを機械でやろうとすると、ただ「叩く」だけではなく「布を触って状態を理解する」ことが求められる。

多くのものが機械化される現代においても、職人の触覚をもって理解できるような不均一な違いを、機械が理解することはできないのだ。

「作っておしまい」にしない結城紬

湯通し・天日干しの工程はここまでだ。糊の影響でパリッと硬かった布は、最後にこの工程を経ることで肌触りの良い柔らかで優しい着心地となる。

結城紬を形容して「親子三代にわたって着続けられる」とはよく言われることだが、最終工程にこれだけの手間をかけていることから、素直に頷くことができる。

取材を通じて何度も思ったが、どうしてここまでこだわることができるのだろうか。

それはきっと、「作っておしまい」ではなく、袖を通す人になるべく良い状態で着続けて欲しいと願う職人の想いが、見事に反映されているからかもしれない。

湯通し・天日干しを知ることで、その想いの一端に触れたような気がした。

結城紬は不均一を一貫している

最後になるが、糸つむぎ・絣くくり・地機織の工程から最終工程まで見学して、見えてきたことがある。それは結城紬が不均一を最初から最後まで一貫している点だ。

わざわざ生糸ではなく真綿から糸をつむぐことで、糸自体にわずかな太さの違いがあらわれる。その違いは織っても変わらず継承され、最終工程での湯通しでも杵で叩く工程でも、その違いによって多くの非効率を生んでいる。

膨大な非効率の積み重ねが結城紬を作っていると前の記事で言ったが、その非効率を生み出しているのは、実は最初の糸つむぎの段階で生じた不均一だ。そして、その不均一が一貫して最後まで変わらないことによるものだ。

そう考えると、結城紬が他の誰にも作れない至高の領域に到達したのは、実は生糸ではなく真綿から作るとした最初の決定に起因するのかもしれない。

答えを断定することはあえてしないが、その決定を下した背景にある職人の思いにこそ、結城紬を理解するヒントがあるかもしれない。

19.09.29
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