【春】江戸と桜 ―― ひとびとの花見

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はじめに
空気の暖かさに、桜の季節の訪れが近くに感じられはじめました。それに先立ち、今回から数本に分けて「お花見」を色々な方向からみた記事を投稿していきます。今回は「お花見の歴史」を絵画とともに見ていきます。なんとなく「花見行ってみようかな」「楽しそうだな」と思っていただけたら幸いです。
ちなみに第2回は現代のお花見スポットをご紹介、第3回はきもの・衣服に焦点を当てていきます。
桜と日本
桜は古くから、春に咲く花として愛されてきました。奈良時代には唐風の文化の影響もあって舶来の梅が好まれましたが、平安時代中頃のいわゆる「国風文化」以降は特に愛でられ、日本の春を代表する花であり続けています。
平安時代中期の『源氏物語』でも桜はたびたび登場し、愛好の対象として描かれます。

『源氏物語』第44帖「竹河」。桜の樹を賭けて碁に興じる姫君たちが描かれています。春らしい装束の襲(かさね)の色目も綺麗です。

光源氏と朧月夜は宮中で催された桜花の宴で出会います。
桜を愛し、集まって派手に楽しむ「花見」を行ったことで知られる人物に、豊臣秀吉がいます。秀吉は天下人となった後、1594年・1598年に桜の名所として有名だった吉野山や醍醐寺に名だたる武将や大勢の家来たちを集め、盛大な花見を催しました。桜の樹も数百、千を超える数を付近から集めて移植し、吉野での花見の参加者は、なんと5000人を数えたといいます。



このように、古来より桜は春を彩る花として、時代を隔てても親しまれ続けてきました。古典では単に「花」といったときには「桜」を指す場合が多いことからも、最も一般的な「花」であったといえるでしょう。
江戸と花見と庶民
泰平の世が訪れた江戸時代。それも中頃に差し掛かると、経済的に豊かになった民衆による文化が成熟していきます。「幕府中興の英主」と称される第8代将軍・徳川吉宗によって江戸の行楽地が整備され、その中で桜の植樹も多く行われました。そうして江戸の庶民の娯楽として浸透した花見は一大イベントとなり、年齢や性別、身分の別なく桜を楽しむようになりました。
武家や貴族が持っていた美しい「庭園」は、今でこそ公園になっているものも多いですが、当時は私有地であり、誰でも立ち入れるものではありませんでした。そのため公共事業のような形で、あらゆる人に開放された行楽地が造られたのです。
女性たちは「花見小袖」を仕立てて華やかに着飾って出かけ、みな弁当や酒を持参したり買ったりして大人数で宴会を催し、花はもちろんのこと、花見酒やどんちゃん騒ぎをして大いに楽しみました。

桜の樹の下で酒や食事を楽しむ女性。背後には遠目に上野・(東叡山)寛永寺の山門が描かれています。

品川の付近にあった「御殿山」という山の花見を描いています(後述)。

「花見小袖」。青海波の江戸褄文様の小袖です。

はしゃぎすぎたのか弁当や酒をひっくり返して慌てる人、それを見て笑う人たち。三味線らしき楽器を持つ女性も描かれています。現・東京都北区にある飛鳥山(後述)での花見を描いています。

茶屋の縁台がひっくり返ったシーンをコミカルに描いた浮世絵です。背景には隅田川が描かれています。

当時の花見の賑わいぶりがわかる浮世絵。軽食や弁当、酒が売られ、芸人らによる見世物も行われています。「花より団子」という言葉が生まれるのも理解できますね。
』鶴屋金助.-国立国会図書館デジタルコレクション-httpsdl.ndl_.go_.jppid1304504.jpg)
このように酒桶や重箱を棒にかけ、担いで花見へ向かうのが一般的だったといいます。軽快なタッチも相まって、春の陽気さや花見を楽しみにする人々の気持ちが伝わってきます。

花見の土産として人気だった桜餅を持って帰る女性たち。

花見酒で酔っぱらってしまい、支えられながら歩く女性を描いた浮世絵。羽目を外しすぎてしまったのでしょうか。そんな花見客たちに向けて「並木枝 折取るべからず」という村役場からの看板が立っています。

同じく酔いつぶれたと思しき男性と、それを支える男性が描かれています。明治時代の上野(旧・寛永寺)の情景を描いたもので、江戸時代の寛永寺では許されなかったであろう行為に時代の移り変わりが見て取れます。

飛鳥山を写した明治時代の絵葉書(着色)。そこで興行をする芸人(楽団?)一座を撮った写真のようです。詳しいことはよくわかりませんが、なんだかとても楽しそうです。大勢で集まって賑やかに楽しむ、花見の様子がうかがえます。
団体客の花見
花見が行楽として人の集まる場になると、宣伝も兼ねた集団での花見も行われるようになりました。寺子屋や手習いの教師が生徒たちを引率したり、花界の女性たちが集まったりして、ユニフォームよろしく揃いの衣裳、揃いの傘で出かけていったといいます。宣伝と遠足/社員旅行を同時にやるようなものでしょうか。今でも人の往来の多い場所にはCMやポスターなどの宣伝が掲示されますが、人の多い場所が宣伝の機会になるのは当時から一緒だったようです。

「東安(按?)堂社中」でしょうか、旗に文字が書かれています。寺子屋や手習いなど、子供たちの引率と思われます。


どういった集まりかはわかりませんが、揃いの傘を持ってお出かけしています。

4つくらいの団体が飛鳥山で鉢合わせになっています。遠足に行った先で他校の生徒と出会う、そんな懐かしい気持ちを思い出します。
江戸の桜の名所
江戸後期の『江戸名所花暦』では、桜の名所として35ヵ所もの場所が挙げられていますが、流石に紹介しきれないので、一部のみを抜粋してご紹介します。
ちなみに、今では東京の桜の名所というと「〇〇庭園」とよく出てきますが、前述の通り、武家などの私有地であった当時は部外者が立ち入れる場所ではなかったので、ここではほとんど出てきません。山や川などの自然の風景や、神社仏閣などの皆に開かれている宗教施設などが多くなっています。
上野 東叡山 寛永寺


江戸に桜の名所はたくさんありましたが、中でも随一の人気を誇っていたのが上野の寛永寺です。『名所花暦』曰く「ヒガンザクラから始まって多種多様の桜が次々に咲き、三月の末(今でいう4月末~5月上旬くらい)まで花が絶えることがない」ほどであったとか。
桜の名所としての上野は、徳川家の菩提寺であった寛永寺の境内に、第3代将軍・家光が奈良の吉野を模して桜を植えたことに始まるといい、江戸の中心から近かった上野は、観光地としても賑わうようになりました。
とはいえ寛永寺は徳川家の菩提寺であり将軍たちの墓廟もあることから、夜には門が閉ざされ、夜桜を楽しむことはできませんでした。昼間でも楽器の演奏や、座って飲食をして騒ぐことが禁止されたりと、幕府は一定の厳粛さを守ろうと努めていたようです。「遊びに行く」という雰囲気の場所とは少し違ったのかもしれません。


清水観音堂から不忍池を眺める花見の女性たちを描いています。江戸時代には禁制もあり、基本的にここまで華やかな振袖や小袖を着ることは(少なくとも原則の上は)庶民にはできなかったと思われます。明治後期の絵画ということもあり、時代の変化を感じさせます。

浅草寺


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場所としては次項でご紹介する隅田川の近くではありますが、単体での有名さも考慮して個別で取り上げました。同じ仏閣の寛永寺とは打って変わり、門前の町並みは当時からかなり賑やかで庶民的な場所であったことが知られています。商店や飲食店、芸人による見世物などが大いに繁盛しました。名人芸が評判となり、8代将軍・吉宗がその見世物を見るために訪れたとの記録も伝わります。庶民的なところも今に受け継がれているといえるかもしれません。

浅草の「花やしき」は嘉永6(1853)年に植物園として開園。明治以降は遊戯施設や動物の見世物なども置かれ、現在は遊園地となっています。



隅田川と向島

隅田川も桜の名所として栄えました。もともと江戸初期頃から桜が植えられていたようですが、特に8代将軍・徳川吉宗の時代には隅田川東岸の向島から千住までの一里(約4キロ)にわたって桜がさらに植えられました。こうしてできた隅田川東岸の一部は「墨堤(ぼくてい)」や「隅(墨)田堤(すみだつつみ)」などと呼ばれ、江戸の桜の一大名所として有名になりました。
当時はちょっとした旅気分を味わえる江戸近郊のスポットも人気であり、渡し舟で隅田川を越えた向こう、「向島」はその一つです。この辺りも当時の行政上「江戸」の範囲内ではあるのですが、「川を渡る」、つまり「境界を越える」という行為ゆえでしょうか。

少し遠いですが、奥には桜が並ぶ「隅田堤」が見えます。




飛鳥山

現・東京都北区にある小さな山です。第8代将軍・徳川吉宗は飛鳥山に1200本あまりの桜を植え、さらにそれを人々に開放したことで、江戸近郊の行楽地となりました。江戸末期の行政区分においてはギリギリ江戸圏(?)に含まれていましたが、江戸中心市街からみれば北の郊外に位置する場所でした。
すぐ近くに「滝野川」が流れ、桜はもちろん季節によって蛍や紅葉なども楽しめる、風光明媚な場所として有名でした。当時でも江戸から一応は日帰りできる距離にあったことも、人気の理由だったようです。



敷物に座って飲食し、芸人の見世物や音楽と一緒に桜を楽しんでいます。

揃いの衣裳・傘の子供たち。まさに遠足です。

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明治時代の飛鳥山を写したもの。ものすごい賑わいです。
御殿山

御殿山は、江戸の南端に位置する品川宿近くにあった山で、徳川将軍家の「品川御殿」が置かれた山であったことからそう呼ばれるようになりました。同じく第8代将軍・吉宗の時代に桜が多く植えられ、江戸近郊の桜の名所として有名になります。桜をはじめとする山の草花に加えて、品川沖の海を見渡すことができた御殿山の風景は、さぞ美しかったことでしょう。
しかし幕末には品川沖に台場(砲台)を建設するために切り崩されたり、公使館建設のために樹が倒されたりした結果、周辺の陸地造成も含めて、周囲の景観は150年ほどの間に様変わりしました。

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小金井

徳川吉宗の政策の下で新田開発が進められた武蔵野台地の一角に位置します。元文2年(1737年)、奈良の吉野や茨城の桜川からヤマザクラを取り寄せ、小金井橋を中心とする玉川上水の両岸約6kmに植樹されたと伝えられます。18世紀の終わり頃には江戸近郊有数の花見の名所となり、著名な文化人達も花見に訪れました。
近代以降は周辺環境の悪化等により並木の衰えが進みましたが、近年は並木復活のためのプロジェクトも行われています。




おまけ:桜の種類いろいろ
一口に桜と言っても実は多種多様であり、ヤマザクラ、サトザクラ、オオシマザクラ、ソメイヨシノ、エドヒガンなどをはじめ、バラ科サクラ属に分類される「桜」には現在、300以上の品種があります。今でこそ日本にある桜の7~8割がソメイヨシノであるとも言われますが、明治以前にはヤマザクラが最も多かったようです。



今や日本中、なんなら諸外国にも広がっている「ソメイヨシノ」ですが、それが生まれたとされるのは江戸時代後期といわれます。江戸時代には園芸がブームとなり、様々な花で多くの品種が生み出されました。桜も例に漏れず多くの品種が生まれたのですが、そのうちの一つが「ソメイヨシノ」と命名され、全国に広がっていったのは明治時代以降のことです。
ソメイヨシノはエドヒガンとオオシマザクラの雑種に由来するといわれていますが、実をつくりません。自然には増えず、挿し木(切った枝を地面に挿す)や接ぎ木(近縁種の樹に切った枝を接ぐ)によってのみ増えます。つまり現存するソメイヨシノは、全てが同じ株から枝分かれしてできた同一個体であり、それゆえ同じ色を持ち、同じ時期に咲き、同じ時期に散ります。
「桜」という言葉を聞くと現代の私たちはソメイヨシノを想像しがちですが、それは実は非常にたくさんの種類を含んだ「分類」なのです。さまざまな「桜」たちが持つ違いに注目してみても面白いのではないでしょうか。
参考
・飛鳥山3つの博物館「『名所』飛鳥山の誕生」 [https://www.asukayama.jp/asukayama/as03.html]
・岡山鳥 『江戸名所花暦』,八坂書房,1994.3. 国立国会図書館デジタルコレクション [https://dl.ndl.go.jp/pid/13132181]
・岡山理科大学「ソメイヨシノ」 [https://www1.ous.ac.jp/garden/hada/plantsdic/angiospermae/dicotyledoneae/choripetalae/rosaceae/someiyosino/someiyosino3.htm]
・小金井市HP「小金井桜のあゆみ」[https://www.city.koganei.lg.jp/kankobunka/bunkazai/sakuraayumi/index.html]
・國學院大學メディア「吉宗と定信の理想、庶民に寄り添う“遊楽の地”」[https://www.kokugakuin.ac.jp/article/66383]
・国立遺伝学研究所「遺伝研のさくら」 [https://www.nig.ac.jp/koukai/koukai2018/sakura/index.html]
・国立国会図書館 「描かれた動物・植物―江戸時代の博物誌― 第二章 独自の園芸の展開」[https://www.ndl.go.jp/nature/21]
・――「NDLイメージバンク 花見と宴会」[https://www.ndl.go.jp/imagebank/column/hanamienkai]
・――「本の万華鏡 第9回 江戸の花見 ~花爛漫~」[https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/9/]
・浅草寺 [https://www.senso-ji.jp/about/]
・名勝 小金井桜の会 [https://koganeizakura.com/index.html]
・名勝小金井(サクラ) [https://city-koganei-koganeizakura.jp/]
