〈歴史きもの散歩 #1〉大正の「推し活」!? -三越と尾形光琳- 1/2 琳派とジャポニスム、アール・ヌーヴォー
はじめに
近代以降の着物の歴史を考えるにあたって、百貨店の存在は欠かせない。今回は、明治末から大正期の三越百貨店の光琳に対する「推し活」について、現代にも直接繋がる「ビジネス」というキーワードを中心にみていく。これは、深い深い着物の歴史を楽しく散策してみる、そんな試みである。
琳派とは?


安土桃山時代、本阿弥光悦と俵屋宗達によって創始され、江戸中期の元禄文化において、尾形光琳が大成した。「流派」といっても、師弟関係や直接的な教授というよりも、作品を見て間接的に学ぶ「私淑」によって主に継承されてきた。
芸術的な側面での特徴としては、平面的で抽象的な画面構成と、有機的な装飾性がある。金銀の箔を用い、具体的な風景というよりも抽象的な背景にモチーフを描画する一方で、その平面的な絵に、「垂らし込み」などを用いて立体感や有機的表現を与えている。
東京藝大教授であった西田正秋によれば、写実的すぎるものは衣装のデザインには適さないが、「琳派」は写実性を持つ絵画でありながら、適度に抽象的なので、総じて「着物のデザイン」としての適正が高いのだという。
ちなみに、尾形光琳は京都の呉服商の生まれであり、光琳本人が手掛けた着物が東京国立博物館に現存している(国宝『白綾地秋草模様小袖』)。そのスタイルの形成には呉服の意匠の影響も指摘されている。
以下は、琳派に特徴的な図柄、デザインの例である。着物に用いられているのもよく見かける。




ジャポニスムとアール・ヌーヴォー
明治末に「光琳」が流行した背景の1つに、欧米における潮流があった。幕末、開国した日本の美術品がヨーロッパに紹介されるようになる。抽象性、題材の自由さ、鮮やかな色遣い、有機性、曲線、装飾性、などは、写実性を追及してきた西洋絵画にとって斬新なものであり、そのエキゾチズムにあてられた好事家たちが日本の芸術品を蒐集するようになる。次第に一部の芸術家たちも、ヨーロッパのそれとは異なる独特な表現技法や美的感覚に影響を受け始めた。この潮流はフランス語で「ジャポニスム」と呼ばれ、19世紀後半のヨーロッパの芸術界に大きな影響を与えた。
そうして、19世紀後半のヨーロッパでは、植物的モチーフ、曲線、装飾性などを特徴とする「アール・ヌーヴォー」(Art Nouveau, 「新しい芸術」)などとよばれるスタイルが流行した。これは絵画から工芸、建築までも包含する総合的な運動であった。絵画においては、クリムト、ミュシャなどに代表される。



※金がふんだんに使われ、波のような模様、輪郭と蕊のみにデフォルメされた花などによる装飾がなされている。

※アイリス=アヤメ(菖蒲)のこと。曲線を多用した流れるような筆遣い、平面的な画面構成などが特徴的。


1900年(明治33年)パリ万国博覧会の頃には日本にもアール・ヌーヴォーが大々的に輸入されるようになり、それにインスピレーションを与えた日本美術に対する関心も、大いに高まった。ヨーロッパに追いつくことを目指していた近代の日本人にとって、「ヨーロッパに影響を与えた日本の美術」は大きな誇りとなったにちがいない。
こうして、琳派(当時はそう呼ばれてはいなかったが)も再評価され、流行していくことになる。[2/2へ続く]
参考文献
・東京国立近代美術館編『琳派 国際シムポジウム報告書』ブリュッケ, 2006.
・国立歴史民俗博物館, 岩淵令治編『「江戸」の発見と商品化 大正期における三越の流行創出と消費文化』岩田書院, 2014.
・国立国会図書館「本の万華鏡 第20回 「本でたどる 琳派の周辺」」 https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/20/index.html
・西田正秋「工芸品に写実は禁物-琳派が呉服に何故良いか 東京芸術大学教授 西田正秋先生談」 そめとおり(188). pp. 35-39.
・「アールヌーボー」, コトバンク. https://kotobank.jp/word/%E3%81%82%E3%83%BC%E3%82%8B%E3%81%AC%E3%83%BC%E3%81%BC%E3%83%BC-3142706#goog_rewarded
出典
・Wikimedia Commons
・尾形光琳 画・小林文七 編『光琳畫譜』. 小林文七, 1901.
・金井紫雲 編『芸術資料』第1期 第11冊. 芸艸堂, 1937.
・山田直三郎 編『光琳遺品展覧会陳列品図録 光琳画聖二百年忌記念』.芸艸堂, 1915.